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コラム

ライターで兼業主婦の私が
「大豆ミート」をはじめるまで。

2021.09.13

はじめまして、私はライターをしながら兼業主婦をしている宮本豆央です。また現在、2児の食べ盛り男子の胃袋を支える母でもあり、夫の健康を支える妻でもあり、4人家族の台所担当として、日々鼓舞奮闘しながらも平凡に暮らしております。
そんな我が家にもついに、大豆ミートを食卓に並べる日がやってきたのです。大豆ミートをはじめた経緯や理由を多くの方々にシェアすることで「未来へと続いていく食卓」について考えていければなと思っています。

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牛さんたちが地球を温める……?

私は長らくファッション系の出版に従事していました。そこで働く人たちは、私がそれまでの人生で出会ってきたなかでも、ポジティブな意味で ”奇人変人” ばかり。とっても個性的でユニークな人々が集まる職場でした。とりわけ、トレンド審美眼や時代の先見力はずば抜けていて、職場の方から教わることは非常に多かったと思います。
そこには大阪出身の陽気な先輩がいて、彼はすでに15年前から、当時はまだ珍しかった「ベジタリアン」でした。肉食の地球負荷に関してトクトクと話すのが印象的で「牛のゲップとオナラが地球温暖化に影響している」ということを教わったのがそのときでした。牛のオナラというワードが衝撃的だったことと、同時に半信半疑だったことを今でも覚えています。
内心、先輩が大袈裟に表現しているのかなぁと思っていましたし、当時はインターネットで調べてもあまりそのような情報がヒットせず、一部の人が信じている都市伝説みたいなものかな、とすら思っていました。実際、家畜産業が地球温暖化要因の14%にあたるという真実を知るのは、それからずっと後のことです*¹。
当時の私は20代の独身で、地球環境に対して社会的責任があるなんて想像もしていませんでした。ただ毎日をがむしゃらに過ごす—— そんな、今も平凡な兼業主婦が、かつて20代の若者だった頃の話です。

  • *¹ 参照:FAO document 2013, Gerber et al 2013, 15pp / IPCC. Weber, D. Zhou, J. Zou, and T. Zwickel, 2014
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カーボンフットプリントって……?

やがて30代で結婚し、数年後に夫の仕事で渡米。語学を含めて、生活に慣れるのに四苦八苦していた2012年頃。あるストリートフェアに参加しました。「Climate Change March」と銘打った、気候変動に対する認知促進が目的のフェアでした。当時住んでいた地元の目抜き通りを約3kmにわたってストリート占領し、各々の団体が、Carbon Foot Print(二酸化炭素排出量指数)が少ないエンターテイメントを披露していました。そのとき、カーボンフットプリントという言葉を初めて知りました。地面にチョークで書いたチェス盤で遊んだり、ストリートダンスバトルをしたり。カラオケ大会に至っては10台の自転車が発電機に繋がれ、発電する人と歌う人、それぞれの協業で成り立っているという具合。違う区画には、一見無音の空間で踊り狂う集団がいて異様な雰囲気でしたが、彼らは各々Bluetoothのイヤフォンをつけていて、DJブース(ラップトップ1台)から流れる音楽を直に耳のそれで受け取り、踊っていたわけです。大型のスピーカーを使うよりも遥かにカーボンフットプリントが削減される、というコンセプトでした。まるで日本の学園祭のような手作り感のある、ほっこり型のストリートフェアだったのです。

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マクロが変わり、私も変わった。

時は電光石火の如く過ぎ去り、気がつくと渡米7年目。慣れない育児に奮闘していました。
そのころ国連で、ある10代の女の子が注目されます。グレタ・トゥンベリさんです。彼女は気候変動が緊急事態にあることに危機感を募らせ、毎週金曜日に学校を休み、ストライキを続け、大人たちに本気の対策を要求していることで知られています。当時若干16歳の少女に叱咤された大人たちは、それぞれどんな思いで彼女のスピーチを聞いていたのでしょう。
少なくとも私は、強い衝撃を覚えて、地球環境について本格的に考えないといけないんだと再認識しました。2015年12月に気候変動問題をめぐる国連の交渉会議COP21において採択されたパリ協定の気温上昇抑制目標は2030年までに「2℃」としている現状にすら物足りなさを感じてしまいました。「私自身も何かしなければ、子供の未来がない」。
そんな焦燥感だったと思います。平凡だと思っていた生活のなかに何か無駄はないか、使いすぎていないか、環境負荷が高いことを見落としてはいないかーー 我々の家族が排出するカーボンフットプリントを意識する、そのような思考に変わっていったと思います。

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意識すればするほど、その難しさに気づく。

しかし住んでいた地域の特性上クルマは必需品だったし、洗濯物は毎回乾燥機を使っていました。オール電化キッチンで食事をするたびにカーボンフットプリントは増えるし、ゴミもコンポストなどでしっかり分けても、必ず排出していたわけです。
地球環境負荷を減らしながら暮らすことを意識すればするほど、その難しさを認識せざるを得ない、そんなジレンマに陥ります。また、環境負荷の低い生活について話題にすると「自給自足の生活でもすれば?」などとあしらわれてしまうこともありました。現代社会に生きながらにして生活を変えていくことの難しさを痛感し、同時に何か解決策がないか、と模索していました。

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一方、私のなかにミクロな問題も(笑)。

日本に戻ってきたらやりたかったことのひとつに、健康診断がありました。アメリカと違って医療費が格段に安いので念願でした。しかしその結果に青ざめることになるのです。
血液検査をしたところ、LDLコレステロール(悪玉コレステロール)が基準値を大幅にはみ出していました(笑)。この数値が続くと動脈硬化が進み、健康維持が難しくなるとのこと。わりと長めのアメリカ生活でお肉中心の食事をしていたからでしょうか。自覚はなかったものの、私のなかの腸内環境が悪化していました(笑)。
以前から続けていた週1のジム通いを週2に増やした他、食事法に関するいろんな本を読み、腸内環境を整えるための食事法も調べました。とくに興味深かったのが「昭和50年代ごろ」というキーワードでした。
昭和50年ごろの食卓は、肉より魚中心で、大豆製品と海藻の摂取量が現代より多かったそうです*²。たまにお肉を食べるときも、塊ステーキを食べるというよりは、ロールキャベツやコロッケ、つくねなど、精肉に野菜やパン粉などのつなぎがふんだんに入っていた点が、お財布にも身体にも優しかった、という具合です。
さらに冷奴や、厚揚げ、ひじき、わかめの酢の物など副菜が豊富で、ミネラルやたんぱく質、ビタミンに加え、食物繊維などのバランスが非常に良かったというのです。また、大豆製品や海藻は腸内の環境整備にうってつけの食材で、大豆にはサポニンやレシチン、イソフラボンなどの成分も含まれています。

  • *² 参照:「昭和50年の食事で、その腹は引っ込む なぜ1975年に日本人が家で食べていたものが理想なのか(講談社+α新書)都築 毅(著)東北大学大学院農学研究科 都築 毅」
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大豆ミート、はじめました。

私を取り巻くマクロとミクロの「環境問題」に直面し、改めて「子ども達のために守りたい未来」があるんだと思いました。小さなことからでも取り入れようと、大豆食品を見直しはじめました。お肉を減らして大豆たんぱくを摂取するのに便利だと思ったからです。そうしてついに我が家も「大豆ミート」をはじめました。

大豆ミートにはミンチタイプやフィレタイプなど様々ありますが、私のお気に入りはミンチタイプ。お湯で数分戻すだけなので、ひき肉の代用品として重宝しています。麻婆豆腐を作ったときも味は本格的に仕上がりましたし、味噌も豆腐もミンチもすべて大豆でまとめたメニューです。

また精肉のときはトレーの水洗いや、干してリサイクルする手間がありましたが、大豆ミートならその必要はありません。まな板の洗浄をする必要もないので、ズボラな兼業主婦の私には魅力的だったりします。
私の好きな言葉に「We do not inherit the Earth from our ancestors; we borrow it from our children(地球は祖先から引き継いだものではなく、子どもからの借り物だ)」というネイティブ・アメリカンの言い伝えがあります。
大豆ミートを選択肢に加えることで、少しでも地球環境の負担を減らした状態で子ども達にお返しできたらなと思っています。

大豆ミート、はじめました。

宮本豆央

80年代生まれ、わんぱく二児の子育て中。2011年渡米、2019年帰国。子育ての傍ら、カルチャー誌やファッション誌などのライターとして活動。帰国後は大学に復学。かつて大嫌いだった哲学および文化人類学が得意科目。主婦、子育て、ライター、学生の四足の草鞋を履いています!

コラム 大豆ミート サスティナブル ライフスタイル

※当サイトでの『大豆ミート』とは、「大豆肉」「大豆たんぱく」「ソイミート」「ベジミート」など、大豆からたんぱく質を取り出し、繊維状にしてお肉のように加工した食品を指しています。